僕らはなぜ大人になるのかな

だいすきたかはしかいとくん!

どうしてわたしたちは語ってしまうのか


わたしも含め、ジャニヲタはつくづく語りたがる人が多いなと思う。どうしてだろう。その答えに繋がるような文章を見かけたので、それを参考に、ジャニヲタの端くれなりにいろいろ考えてみた。筋の通っていない部分等もあると思いますが、読んでいただく際は、誤解を防ぐため最後まで目を通していただけると嬉しいです。

文化を低級文化と高級文化に分けたとき、ジャニーズというのはどちらに属するのだろうか。わたしが感じる非ジャニヲタからジャニヲタへのイメージは「イケメンにキャーキャー言ってる人たち」だ。よって、非ジャニヲタからすると、ジャニーズは低級文化なのではないかと思う。

先に述べた文章にならうと、マンガや漫才のような低級文化というものは、小説や演劇のような高級文化と違い批評を受けない。なぜなら、低級文化には商品としての価値はあれど芸術としての価値はなく、そもそも批評する必要性がないからだ。売れればいい、それで終わりなのだ。また、安価で質の良くない品は廃棄されやすく、批評したり研究したりするための資料が残らないことも理由と言える。

ここまではその文章で述べてあったこと。これを非ジャニヲタからみたジャニーズに当てはめて考えてみよう。ジャニーズにとって「売れる」ということは大事だろうから、言い方は悪いが、商品としての価値がなければ彼らはステージに立てない。では芸術としての価値はあるのだろうか。「口パクだしダンスも上手くない」「顔だけだ」という言葉をよく耳にするので、ジャニーズに芸術性を感じない非ジャニヲタがいることは否めないだろう。
次に、資料が残るか。例えば、ジャニーズ関連の雑誌や本が小説のように図書館や書斎で保管されることはまずない。それは、その空間に置くに値しないと考えられるからだ。また、ジャニヲタが必死に集めた雑誌や他のグッズも、本人が担降りやヲタ卒をすれば売られたり廃棄されたりする。飽きられたマンガと変わりないのだ。公的に保管されないのでは、批評も学問も生まれにくい。こうして考えると、やはり、非ジャニヲタからすればジャニーズは低級文化なのだろう。そして、そんな低級文化は批評に値しないのだろう。*1

ここで話はジャニヲタと語りに戻る。ジャニーズは売れればそれでいい、芸術性がない、そして大事に保管するに値しない、よって批評に値しない。ここまで読んで気分を害した人もいるかもしれないが、それこそがジャニヲタが語る理由なのではないか。顔ファンを過剰に嫌う人がいるように、ジャニヲタにはアイドルの容姿、性格、思考、才能、全てに惚れ込んでいるという人が多い。売れているというには程遠いアイドルが見つかっていく過程を見届けられるのが幸せだと感じる人もいるし、歌やダンス、その他のパフォーマンスに魅せられてファンになった人もいる。パフォーマンスが上手だといえなくても、真摯に向き合う姿勢や裏に隠された努力に心打たれる人もいる。そして、家宝のようにグッズを扱う人だっている。
なんだ、さっきの話とまるで逆じゃないか。きっと、私たちジャニヲタは、「かっこいい」という一言では形容しきれない何かを彼らに感じている。だから、私たちはここはてなブログや他の媒体を通して、あるいは直接声に出して、彼らへの愛を語り、彼らに関することを考察し、時に厳しいことも言う。そうやって無意識のうちにジャニヲタという身内の中でジャニーズを高級文化化しているのかもしれない。いや、もしかしたらそれは高級文化とはまた違うカテゴリーを生むかもしれない。

ジャニヲタの語りは、一種の批評であり、ジャニーズを低級文化に分類しないための抵抗なのではないか。そう考えると、そうさせてしまうアイドルはなんて尊い存在であろうか。

とってもありきたりでぼやっとした結論に落ち着いてしまったが、そもそもアイドルに対するこの抽象的な感情を論ずるということ自体に無理があるのかもしれない。それでもわたしは時々理由を求めたくなるので、そんなときはブログに言葉を残そうと思う。


最後に、どうか、わたしの応援する人がどこかの舞台の上でこれからも輝き続けますように。

*1:わたしの受けた印象をもとにした考察で、統計をとったわけでもないのでご了承を。一意見として捉えてください。